
最近、ふと思ったことがある。
テレビの司会や出演者に対して、視聴者がコメント欄で好き勝手に叩いている光景を見るたびに、僕はどうしても違和感を覚える。
嫌なら見なければいい。
チャンネルを変えればいい。
別にその番組を、無理やり見せられているわけじゃない。
それなのに、わざわざ見に行って、容姿に文句を言い、態度に文句を言い、気に入らないと叩く。無料の地上波を見ながら、そこまで言うのかと思うことがある。
もちろん、感想を持つこと自体は自由だ。司会が合う、合わない。進行が見やすい、見づらい。そういう話ならまだ分かる。けれど、内容ではなく見た目や雰囲気にまで攻撃が向かうと、それはもう感想というより、ただのはけ口に見えてしまう。
そして僕は、そこでどうしてもUber配達員のことを思い出してしまう。
本稿は、現場配達員の間で広がる不安や日々の稼働感をもとに書くコラムです。特定の仕様変更を断定するものではなく、「断りにくい空気」がどう現場を縛るのかを考える内容です。
見なければいい人たちと、断れない配達員
視聴者には「見ない自由」がある。嫌なら閉じればいい。離れればいい。無視すればいい。
でも、Uber配達員には、その“嫌ならやめればいい”が簡単には通じない。
遠すぎる案件。
安すぎる案件。
明らかに割に合わない案件。
配達員なら、スマホを見た瞬間に「これはきつい」と感じる案件はいくらでもある。
本来なら、嫌なら断ればいい。それが業務委託の自由のはずだ。
けれど現実には、そこにずっと曇った空気がある。断り続けたらどうなるのか。応答率が下がったら不利になるのではないか。将来的にクエストや案件の出方に影響するのではないか。そういう不安が、いつも配達員の頭のどこかにある。
つまり、視聴者は見なくても何も失わないのに、わざわざ見に行って怒る。一方で配達員は、断りたい案件が来ても、本当に自由に断っていいのか確信を持てない。
この差は大きい。
「自由です」と言われながら、数字で縛られる世界
Uberの怖さは、露骨な命令ではなく、数字の空気で人を縛るところにある。
応答率。
キャンセル率。
オンタイム率。
こうした数字が並ぶだけで、人は勝手にプレッシャーを感じる。
明確に「この案件を断るな」と言われるわけではない。けれど、注意文のような表示や、今後どうなるのか分からない不安が共有されるだけで、現場は一気に息苦しくなる。
こうなると、人は自由に動けなくなる。断る権利があるようで、実際には断りづらい。業務委託の顔をしていながら、じわじわと“従う方向”へ誘導されていく。
これが、今の配達員が感じている息苦しさの正体だと僕は思う。
「嫌なら断れと言うなら、本当に断っても不利益がない仕組みにしてくれ」
嫌なものを避けられる人ほど、残酷になれる
ここで、最初の視聴者の話に戻る。
嫌なら見なければいい立場の人ほど、時に驚くほど残酷になる。見ないで済むのに、わざわざ見に行く。離れられるのに、わざわざ言葉を残す。しかもその言葉が、内容の批判ではなく、容姿や雰囲気への攻撃にまでなっていく。
それはたぶん、失うものが少ないからだ。見ても痛くない。書いても責任が薄い。画面の向こうの相手は、直接反撃してこない。だから人は、簡単に強い言葉を使える。
でも、配達員は違う。
一件一件が生活に響く。断るか受けるかが、売上に響く。しかも受けた先に待っているのは、長距離かもしれないし、低単価かもしれないし、地雷建物かもしれない。
本当にリスクを背負っているのは、コメント欄で怒っている側ではない。数字と生活に挟まれている、現場の配達員のほうだ。
拒否制限が始まったとき、配達員は何と戦うのか
もし今後、拒否や未応答に対する制限がさらに強まるなら、配達員が戦う相手は単なる一本の案件ではなくなる。
安い案件そのもの。
遠い案件そのもの。
そして何より、「断ると不利になるかもしれない」という空気。
これが厄介だ。人を本当に縛るのは、明確なルールだけではない。“そう見える空気”のほうが、現場ではよほど効く。
しかも配達員は、理不尽な案件でも、生活のためにアプリを開く。クエストがあるから。件数を積みたいから。今日の売上を作らなければいけないから。
だからこそ、拒否制限との戦いは、単なる機能変更への不満ではない。これは、配達員の自由がどこまで残るのかという話だ。嫌なら断れと言われてきた世界が、実は断れない世界へ変わっていくのだとしたら、それはかなり重い変化だと思う。
最後に
嫌なら見なければいい視聴者は、わざわざ見に行って怒る。嫌なら断ればいいと言われるUber配達員は、本当に断っていいのか分からないまま走っている。
このねじれは、今の社会をよく表している。言葉だけ見れば自由。でも実際には、自由の重さがまったく違う。
見ない自由を持つ人たちは、もっと黙ることができる。でも、断る自由が揺らぎ始めた配達員たちは、黙っていたら本当に不利になるかもしれない。
だから僕は思う。これから始まるのは、ただの仕様変更への不満ではない。
Uber拒否制限に備える配達員たちの、静かな防衛戦。
編集後記
この話は、単なるUber批判でも、視聴者批判でもないと思っています。
本当に書きたかったのは、「自由に見えるものほど、実は空気で縛られている」ということです。視聴者は見ない自由を持ちながら、わざわざ見に行って叩く。配達員は断る自由があるようで、数字と生活の前では簡単には断れない。この差は、かなり大きいです。
現場にいると、制度や表示よりも先に、“断りにくい空気”が来る。今回の記事は、その息苦しさを言葉にしておきたくて書きました。
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Q. 配達員が「断りにくい」と感じる最大の理由として、この記事の趣旨にいちばん近いのはどれ?