
料理を運んでいるつもりだった。
でも最近、Uber Eatsの配達をしていると、そう言い切れない感覚がある。
ハンバーガーや丼ものだけではなく、飲み物が1本、菓子が1つ、日用品が1点。
ひとつひとつは小さい。でも、その「もう1個」が地味に増えている。
最初はただの気のせいかと思った。
けれど、あるMarkeZineの記事を読んで、少し見え方が変わった。Uber Eatsはもう、食べたいものを探すアプリであるだけでなく、買う直前の気持ちを動かす広告の面にもなり始めている。そう考えると、路上で感じていた小さな違和感が、ひとつの線でつながった。
料理の注文に見えて、実は「買わせ方」の注文かもしれない
注文者の画面に何が出るのか。
何が目立つ位置に置かれるのか。
どの商品に「ついでにどうですか」が差し込まれるのか。
このあたりは、配達員には直接見えない。
でも、結果だけは見える。バッグの中身として見える。
飲み物が増える。
ちょっとした食品が混ざる。
ときには、食事よりも「ついで買い」の気配のほうが強く見えることもある。
つまり現場からすると、最近のUber Eatsは「ユーザーが食べたいものを運ぶ場」であると同時に、企業が売りたいものを自然に紛れ込ませる場にもなってきているように見える。
「あと少しで送料無料」が、人の判断を雑にする
この構造で強いのが、送料無料ラインだ。
たとえば、あと数百円で配達手数料が無料になる。
そうなると、多くの人は考える。
「じゃあ飲み物でも足すか」
「どうせなら日用品も入れるか」
この感覚自体は、別に珍しいものではない。
ネット通販でも、店頭でもある。
ただ、Uber Eatsはここが少し違う。
空腹だったり、今すぐ欲しかったり、雨で外に出たくなかったり、判断がかなり短い時間で行われる。
じっくり比較して決めるというより、その場の勢いで「これでいいか」と決まりやすい。
そこに広告やおすすめ表示が重なると、ユーザーは自分で選んでいるつもりでも、かなり誘導されやすい。
しかも本人には、その誘導が「広告っぽく」見えにくい。ここが少し不気味だ。
バッグの中に入ってくるのは、商品だけじゃない
配達員目線で言えば、バッグの中に入ってくるのは商品だけではない。
広告の結果が入ってくる。
飲み物1本増えるだけなら、大したことがないように見える。
でも、実際にはそう単純でもない。
バッグの中の配置は少し変わる。
汁物や温かい料理と、冷たい飲料や日用品が混ざる。
確認する点数が増える。
受け取りも受け渡しも、わずかに気を使う。
しかも、その「わずかな負荷」は、件数を重ねると無視できない。
1件では小さくても、何件も積み重なると、静かに効いてくる。
ここで大事なのは、注文金額が上がったからといって、それがそのまま配達員の報酬にきれいに乗るわけではないことだ。
注文の見た目は派手になる。売上の数字も伸びるかもしれない。
でも現場では、「ちょっと重い」「ちょっと面倒」「ちょっと遅れる」が積み上がる。
このズレは、路上にいるとかなり気になる。
選んでいるのか、選ばされているのか
僕は便利さそのものを否定したいわけではない。
Uber Eatsが便利なのは事実だし、雨の日や疲れている日、体調が微妙な日には助かる場面も多い。
ただ、その便利さの中に、いつのまにか「選ばされる仕組み」が深く入り込んでいるとしたら、話は少し変わってくる。
人は空腹のとき、判断が速い。
今すぐ欲しいとき、人は比較を省きやすい。
さらにアプリの中でおすすめが自然に並んでいれば、「たまたま見つけた」つもりで、そのままカゴに入れてしまう。
でも本当は、その「たまたま」は、かなり設計されているのかもしれない。
食べたいものを探しているつもりが、いつのまにか「食べさせたいもの」「買わせたいもの」の通路を歩かされている。
そう考えると、Uber Eatsは配達アプリというより、欲求の出口を整理して並べるメディアに近づいている。
Uber Eatsは、もう配達アプリのままではない
ここから先、Uber Eatsはもっと便利になると思う。
広告はさらに自然になり、レコメンドはさらに賢くなり、購買はもっと滑らかになるはずだ。
でも、その滑らかさは同時に、考える余白を削っていく。
比較する時間。
本当に必要かを疑う時間。
「今日はやめておこう」と引き返す時間。
そういうものを削りながら、買い物はどんどん気持ちよくなっていく。
だから僕は、この変化をただの広告成功事例としては見ない。
Uber Eatsは今、料理を運ぶサービスから、消費者の衝動とラストワンマイルをまとめて握る仕組みへ変わりつつある。
そして、その変化がいちばん先に現れるのは、決算資料のグラフではなく、たぶん路上の配達バッグの中だ。
編集後記
現場にいると、プラットフォームの変化は「発表資料」より先に、違和感として来ることがある。
最近のUber Eatsは、単価がどうとか、クエストがどうとかだけでは語りきれない空気がある。
何を見せるか。
何を足させるか。
何を自然に買わせるか。
そういう設計が強くなればなるほど、配達員は「料理を運ぶ人」ではなく、「企業が設計した購買の最終工程を回す人」に近づいていく。
便利さは否定しない。
でも、便利さの裏で何が起きているのかは、現場の言葉で残しておきたい。
たぶんこれからの路上は、そういう観察がかなり大事になる。