
もらい事故のしんどさは、ぶつけられた瞬間だけじゃない。
事故のあとに残る痛み。
動かした時に走る違和感。
日常動作で「あ、まだダメだ」と思い知らされる瞬間。
でも、実際にじわじわ効いてくるのは、そういう痛みそのものだけではない。
痛みを説明し続けないと、何も前に進まないこと。
これが、本当にきつい。
僕はいま、その現実のど真ん中にいる。
寝れば回復する、とは限らない
普通に考えれば、寝ている時間は身体を休める時間だと思う。
働いて、疲れて、眠って、少し回復する。そういう流れを期待する。
でも、もらい事故のあとに残った左肩まわりの痛みは、その常識を裏切ってきた。
通常時の痛みは、少し減ってきた。
ずっと激痛というわけではない。
けれど、左を使うと左肩甲骨に痛みを感じる。左上腕部、左胸、脇にも違和感が出る。
ズボンを上げる。
リュックを背負う。
そういう何気ない動きで、「まだ終わっていない」と分かる。
そして何よりしんどいのが、起床時だ。
寝て起きると、左肩甲骨から左腕にかけて、筋肉痛みたいな重だるさが残っている。
鋭い痛みというより、「寝ている間に負担が積み上がった」ような感じだ。
これが地味にきつい。
寝ている間に回復していない。
むしろ、寝ている時間そのものが負担になっている。
そう思わざるを得ない。
患者は、言わないと何ももらえない
ここが、この話の一番しんどいところかもしれない。
痛い。
動かしづらい。
寝起きがつらい。
でも、それだけでは足りない。
患者は、それを具体的な言葉にして提出しないといけない。
どこが痛いのか。
どの動きで痛いのか。
起きた時にどうなっているのか。
日常生活にどんな支障があるのか。
僕はそれを整理して、症状メモまで作った。
ズボンを上げる動作で痛いことも、左腕を使うと左肩甲骨に響くことも、寝て起きた時の重だるさも、なるべく伝わるように文章にした。
でも、そのメモは見てもらえなかった。
もちろん、先生にも事情や忙しさはあると思う。
一人ひとりに長く時間をかけられない現場なのかもしれない。
ただ、患者側からすると、あれはかなり堪える。
せっかく言葉にした。
ようやく整理して渡した。
それなのに、その紙が挟まれたまま進んでいく。
ああ、伝わっていないんだな、と思う。
この感覚は、痛みそのものとは別の意味で削ってくる。
病院に通っていれば、それで安心できるわけじゃない
通院している。
それだけで安心できるなら、どれだけ楽だろう。
でも現実は違う。
可動域の評価はどうなのか。
今後どうしていくのか。
薬や湿布の案内はあるのか。
自宅では何を気をつけるべきなのか。
そういう「生活に直結する話」が乏しいと、患者は不安のまま帰ることになる。
特に事故後は、治療だけしていれば終わりではない。
生活のこともある。
仕事のこともある。
保険会社とのやり取りもある。
こちらは好きでもらい事故に遭ったわけではない。
それなのに、事故後の生活を立て直すための材料まで、自分から取りにいかないといけない。
黙って座っていれば、全部が丁寧に与えられるわけではない。
むしろ逆で、何かを言わないと何も出てこない。
この現実は、かなり重い。
転院したい。でも、転院すら面倒だ
じゃあ転院すればいいじゃないか。
外から見れば、そう思うかもしれない。
でも、転院は転院で面倒だ。
新しい病院を探す。
メールを送る。
事故対応が可能か確認する。
可動域評価ができるか聞く。
保険会社に連絡する。
場合によっては紹介状も考える。
しかも、問い合わせた先が受けてくれるとは限らない。
実際、僕が連絡した先からは、交通事故による診療を中止していることや、整形外科ではないため関節可動域の評価器具がないという返答が来た。
これはもう、相性以前の問題だった。
結局、転院を考えて動いてみても、そこでまた疲れる。
だったら今の病院で、まずは寝方のアドバイスだけでも聞いた方がいいんじゃないか。
そうやって現実的な着地点を探すことになる。
転院なしが一番いい。
本当にそう思う。
だって面倒だからだ。
ただ、その「面倒だから」で耐え続けていいのかという問題もある。
ここが難しい。
いま僕が一番欲しいのは、大げさな答えじゃない
いま欲しいのは、立派な理屈ではない。
「寝て起きると左肩甲骨〜左腕が、筋肉痛みたいに重だるく痛くなります。何かいい寝方はありますか?」
まずは、それにちゃんと答えてほしい。
たったそれだけだ。
枕をどうするか。
肘の下にクッションを入れるのはありか。
温めた方がいいのか。
避けた方がいい姿勢はあるのか。
そういう、今日の夜から試せる話。
患者が本当に欲しいのは、案外そういう具体策だったりする。
実際、自分でも試してみて、左肘の下にクッションを入れて腕の重みを抜くと少し楽かもしれない、という感覚はある。
首は凹みのある低反発枕の方が楽だ。
そういう情報を、患者は自分で探し、自分で実験している。
本来なら、その一部を医療側が補ってくれたら、どれだけ安心できるだろうと思う。
もらい事故の被害者は、痛み以外の仕事が多すぎる
もらい事故は、本当に何のメリットもない。
痛い。
休む。
金が減る。
保険会社とやり取りする。
病院で説明する。
説明が足りなければ、自分で文章にする。
それでも伝わらなければ、転院を考える。
転院先が見つからなければ、また元の病院に戻る。
被害者なのに、やることが多すぎる。
しかも、そのどれもが派手ではない。
地味で、細かくて、でも確実に精神を削る。
この現実は、交通事故の数字や制度説明だけでは絶対に伝わらない。
実際に毎日を過ごしている側にしか分からない重さがある。
寝ても回復しない。
伝えても拾われない。
転院も面倒。
それでも生活は続く。
この一連のしんどさこそ、もらい事故の本当の厄介さなんだと思う。
そう簡単に示談にはさせない
通常時の痛みは、少し減ってきた。
そこは事実だ。
でも、左を使えばまだ痛い。
起きればまだ重だるい。
左腕も、左肩甲骨も、まだ終わっていない。
だから、そう簡単に「もういいですよ」とは言えない。
示談というのは、紙の上の話だ。
でも痛みは、紙の上では終わらない。
左腕が痛い。
それだけで、まだ終わっていない理由としては十分だと僕は思っている。
編集後記
もらい事故の記事を書いていると、つい「制度がどう」「保険会社がどう」という話に寄りがちになる。
でも今回あらためて思ったのは、被害者が毎日どこで削られているかを書かないと、本当のしんどさは伝わらないということだった。
寝ている時が一番つらい。
この地味な一文の重さを、ちゃんと残しておきたい。