
2025年12月17日。僕はもらい事故に遭った。
事故に遭った人なら分かると思うけど、被害者が本当に知りたいのは、法律用語でも、保険会社の都合でもない。
この壊れた生活に、どれくらいの意味が与えられるのか。
まずはそこだ。
僕は今回、その感覚を別の形でも味わった。
AIに慰謝料の話をしていたら、「10万円もあり得る」という方向の話が出てきた。
その瞬間、頭が冷えた。
こっちはぶつけられている。
左肩の可動域制限が残っている。
上の荷物は置きにくいし、取りにくい。
稼働すると左肩の裏が筋肉痛みたいに重くなる。
鍼と注射で一時的に落ち着いても、また動けばぶり返す。
それでも個人事業主だから、休めばそのまま収入が消える。
そんな状態で、
「まあ10万円もあり得ますね」
みたいに言われたら、そりゃ一気に冷める。
被害者が欲しいのは、濡れ手で粟の金じゃない。
当たり屋みたいな話でもない。
ちゃんと治療して、ちゃんと記録して、そのうえで
この事故で崩れた生活を、なかったことにされたくない
それだけだ。
感情だけで終わると、結局また被害者が損をする
でも、ここで感情だけで終わると、結局また被害者が損をする。
だから今回は、ちゃんと調べた。
自賠責の傷害慰謝料は、仕組みとして日額で考える基準がある。
そして通院の扱いは、普通の通院日なのか、はり・きゅうなどの施術日なのかで変わる。
ここで大事なのは、6か月近く通っていて、可動域制限も残っている人間を、雑に「10万円くらい」と切るのは乱暴だということだ。
しかも、慰謝料の基準は一つじゃない。
交通事故の慰謝料には、ざっくり言えば自賠責基準・任意保険基準・弁護士(裁判)基準がある。
つまり、同じ「事故」「同じ通院」でも、どの基準で見るかで世界が変わる。
弁護士特約の意味は、魔法みたいに金額を増やすことではない
ここで大事になるのが、弁護士特約だ。
もらい事故では、被害者側の保険会社は前に出て示談交渉してくれない。
だから結局、被害者本人が相手の保険会社と向き合うか、弁護士に入ってもらうかになる。
弁護士特約の意味は、単に「あると安心」程度の飾りじゃない。
被害者本人が、相手の保険会社と素手で向き合わされないための装備なんだ。
「じゃあ、自分でやればいいじゃないか」と思う人もいるかもしれない。
たしかに、もし本当に10万円前後しか動かない話なら、そう感じるのは自然だ。
でも問題は、その“10万円”という見立て自体が、被害者の現実とズレている可能性が高いことにある。
可動域制限は、ただの愚痴では終わらない
しかも僕のケースでは、可動域制限がある。
この点も、ただの愚痴で終わる話じゃない。
制度上、肩を含む上肢の関節には機能障害の等級枠がある。
もちろん、可動域制限が残っているだけで自動的に認定されるわけではない。
でも逆に、「少し動くから関係ない」と切っていい話でもない。
数字になれば、制度の言葉に変わる。
ここが大きい。
今の主役は先生だと思っている
だから僕は、今回あらためてこう思った。
弁護士特約は、事故に遭ったあとで価値が分かる特約だ。
契約の時は、さらっと聞かれる。
「付けますか、付けませんか」
たぶん多くの人は、その場ではピンと来ない。
でも、もらい事故に遭うと分かる。
相手の保険会社は、当然ながら支払う側の論理で動く。
治療の現場で身体を見ているわけじゃない。
時期を見て、区切りを見て、金額を見て、話を進めてくる。
こちらが生活を崩しながら通院していることも、
稼働すると痛みがぶり返すことも、
鍼と注射で一時的に落としてまた働いていることも、
そのままでは“ただの事情”にされやすい。
そこで必要なのは、
先生の見立てを土台にして、相手の計算だけで押し切られないことだ。
今、僕の中で一番やってくれているのは先生だと思っている。
どこが痛いか、どこが張っているか、どこが連動しているか。
身体を見て、触って、反応を見て、治療してくれる。
今の主役は、たぶんそこだ。
でも、保険会社が切ってきた瞬間、話は変わる。
その瞬間は、敵でいい。
終わったらノーサイド。
このもらい事故案件は、ある意味ビジネスだ。
だからこそ、こちらも感情だけでなく、記録と基準で戦う準備が要る。
4か月時点で、また報告したい
事故日は2025年12月17日。現在は2026年4月5日。
まだ3か月半を過ぎたばかりだ。
だから、この話をここで終わりにはしない。
4か月を経過した時点で、可動域制限がどうなったのか、痛みがどう変わったのか、また追って報告したいと思います。
今の僕の現実はシンプルだ。
稼働すれば、左肩の裏が重くなる。筋肉痛みたいなだるさが出る。
だから病院に行って、注射と鍼で痛みとだるさをいったん落とす。
そしてまた稼働して、また病院に戻る。
今は、その繰り返しの中にいる。
よくなっていないわけじゃない。
でも、治ったとも言えない。
この中途半端さこそが、もらい事故のいちばん厄介なところだと僕は思っている。
編集後記
今回の記事は、正直かなり腹の立つテーマだった。
でも、腹が立つからこそ、雑に書きたくなかった。
被害者が本当に冷えるのは、痛みそのものより、その痛みや不便が軽い数字で片づけられた時だと思う。
僕はまだ治療の途中にいる。だから、今は結論を急がない。
ちゃんと治療して、ちゃんと記録して、そのうえでまた書く。
このシリーズは、そこでようやく意味が出るはずだ。