
原付を支えられた。でも、そこで終わりじゃなかった
左肩は、もう終わっているわけではない。
実際、原付が倒れそうになった時、とっさに左で支えられた。前みたいな激痛もなかった。あの瞬間、「あ、回復はしてるんだな」と思った。
これは自分の中では、けっこう大きかった。少し前なら、そんな動きは怖かったし、そもそも左肩にそこまで任せられなかったからだ。
でも、そこで話は終わらない。
激痛の時期は越えた。でも可動域制限は残っている
腕は上がる。日常生活でも、「痛い!」と叫ぶような場面はもうない。しびれもない。熱感も腫れもない。強い痛みの峠は、たぶんもう越えている。
それでも、左肩には可動域制限が残っている。そして稼働すると、左肩が筋肉痛みたいになる。たまに左前腕まで来る。
ここが、事故後の身体のいやらしいところだと思う。
外から見れば、かなり回復しているように見える。原付を支えられた。腕も上がる。普段の生活もある程度できる。だったら「もうだいぶ大丈夫なんでしょ」と思われやすい。
でも、当事者の感覚はもっと中途半端だ。
壊れてはいない。でも負荷をかけると返ってくる
壊れて動かないわけじゃない。だけど、負荷をかけると平気な顔をしてくれない。
この「動けるけど、まだ仕上がっていない」感じが、実はかなり厄介だ。
完全に壊れているなら、休むしかない。逆に完全に治っているなら、何も考えずに稼働できる。
問題は、その中間だ。
配達の仕事は、見た目以上に肩を使う。ハンドル操作、荷物の持ち上げ、停車時の支え、細かい積み下ろし。ひとつひとつは大きな動作ではなくても、積み重なると肩にはちゃんと負荷が来る。
だから、日常生活では平気でも、稼働すると分かる。「ああ、まだここか」と。
“筋肉痛みたいな痛み”は説明しにくい
左肩の可動域制限が残っているからなのか、動き方が微妙にズレる。そのズレを埋めるように、周りの筋肉が頑張る。すると、いわゆる「筋肉痛みたいな感じ」で返ってくる。
これがまた厄介で、激痛ではないから説明しにくい。
激痛なら、誰でも分かる。動かなければ、休めと言われる。でも、筋肉痛みたいな張りやだるさは、本人しか分からないし、周囲には「その程度なら」と見られやすい。
事故後の不調は、何もかもが分かりやすい形で出るわけじゃない。むしろ、こういう半端な不自由のほうが長く残ることがある。
生活はできる。でも、仕事の負荷にはまだ耐えきれない。
この差は、実際に当事者にならないと分かりにくい。
回復していることと、治ったことは同じじゃない
左肩は回復してきている。それは間違いない。原付を支えられた事実が、それを示している。
ただ、回復していることと、治ったことは同じではない。
ここを一緒くたにすると、自分でも判断を間違えるし、周囲ともズレる。
「もう激痛じゃないから大丈夫」ではない。「腕が上がるから問題ない」でもない。
身体は、ゼロか百かでは戻らない。まず激痛が引く。次に日常生活が戻る。そのあとで、仕事の負荷に耐えられるかどうかという壁が来る。
今の自分は、たぶんその壁の途中にいる。
4月17日で4か月。T保険はどう出るか
原付を支えられた。これは確かに、いい兆候だ。
でも同時に、稼働すると左肩はまだ筋肉痛みたいに返ってくる。左前腕も、たまに巻き込まれる。つまり、身体は「前より良くなっている」と「まだ万全じゃない」を同時に出してくる。
事故後の回復というのは、こういうものなのかもしれない。
一直線に良くなるんじゃない。今日はいいと思ったのに、負荷をかけたら戻る。でも、前みたいな壊れ方ではない。少しずつマシにはなっている。
見た目では分かりにくい。激痛も薄れている。それでも、仕事に戻る身体としては、まだ不安定だ。
そして次の節目が、2026年4月17日だ。事故日である2025年12月17日から、ちょうど4か月が経過する。
さあ、保険会社(T保険)はどう出るか。
被害者の身体は、たしかに前進している。原付を支えられるところまで回復している。でも、可動域制限は残っているし、稼働すれば左肩は筋肉痛みたいに返ってくる。つまり、治っていないものは、まだ治っていない。
ここで保険会社が「4か月」という数字をどう見るのか。身体の現実を見るのか、それとも月数だけを見て次の話に進めようとするのか。被害者側からすると、そこはかなり現実的な焦点になる。
また弁護士と相談して進めよう。
だから今の左肩を一言で言うなら、壊れているんじゃない。まだ仕上がっていない。
そのくらいの表現が、いちばんしっくりくる。
編集後記
もらい事故の後って、「動けるか、動けないか」の二択で見られがちだと思う。
でも実際は、その間にかなり長いグレー期間がある。
僕の左肩もそうで、激痛の時期は越えた。腕も前より動く。原付だって支えられた。
それでも、稼働すると左肩は筋肉痛みたいに返ってくる。
この「生活はできるけど、仕事の負荷にはまだ弱い」という感覚は、当事者じゃないと分かりにくい。
だからこそ、こういう中途半端な回復の時期も、ちゃんと記録しておく意味があると思っている。