
事故の被害者になって、まさか自分がマクドナルドに呼び出されるとは思わなかった。
もっと言えば、その場で左手を上げてみてください、みたいな空気の中に立たされるとは思わなかった。
こちらは、痛くないのに痛いと言っているわけじゃない。
医師は可動域制限があると判断して、診断書も出している。日常生活でも左を使えば痛む。稼働すれば張る。事故前と同じようには動かない。なのに、どこかでずっと漂っているのは、「本当にそんなに痛いのか?」という視線だった。
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僕が書きたいのは、もらい事故の被害者が、いつの間にか「説明する側」「証明する側」「疑いを晴らす側」に立たされていく、その異様さだ。
被害者なのに、なぜか「弁明する側」になる
もらい事故という言葉は、軽く聞こえる。
でも実際に起きることは、全然軽くない。
追突された瞬間で終わりじゃない。
そのあとに始まるのは、通院、仕事への影響、生活の変化、補償の話、そして「どこまで本当なのか」を見られているような時間だ。
ここが本当にきつい。
痛みがある。
可動域も落ちている。
診断書もある。
それでも、被害者の側がずっと「いや、本当に痛いんです」と説明し続ける構図になる。
身体の痛みだけでも面倒なのに、そこへさらに「信用されるのか」という別のストレスまで乗ってくる。
これが事故後の現実だ。
しかも厄介なのは、露骨に「嘘じゃないの?」と言われるわけではないことだ。
もっと柔らかく来る。
「一応確認で」
「ちょっと上げてみてもらえますか」
「詐欺もあるので」
この“やわらかい言い方”が逆に刺さる。
表向きは丁寧でも、被害者からすると意味はかなり重い。
要するに、「あなたの話をそのまま信用しているわけではありませんよね?」という空気が含まれているからだ。
人前で腕を上げることの、何がそんなに嫌だったのか
左腕を上げる。
文字にすると、それだけだ。
でも、あの場で僕が本当に嫌だったのは、腕を上げる行為そのものじゃない。
人前で、自分の痛みを「見せて証明する」側に回らされたことだ。
痛みは、そんなに単純じゃない。
上がるか上がらないかだけでは測れない。
ある角度で痛むこともある。上げるより戻す時がつらいこともある。繰り返し動かしているうちに張ってくることもある。
それなのに、その場では見た目で判断されやすい。
「あ、意外と上がるんだな」
「それなら大丈夫そうだな」
もしそんなふうに受け取られたら、たまったものじゃない。
こちらはその一回の動きのために無理をしているだけかもしれないし、そのあと痛みが強く出るかもしれない。医師は診断書で可動域制限ありと見ている。それでもなお、“その場の印象”が紛れ込んでくる。
事故の被害者が削られるのは、こういうところだと思う。
医学的な評価と、現場の空気と、保険実務の感覚は、きれいに一致しない。
そしてそのズレの真ん中で一番消耗するのは、だいたい被害者だ。
診断書があるのに、まだ疑われる感じ
僕はここに、もらい事故の嫌な本質があると思っている。
医師が可動域制限ありと見ている。
通院もしている。
生活の中でも不便がある。
それでもなお、「本当にそこまでなのか」という空気が差し込んでくる。
診断書って、何のためにあるんだろうと思う。
もちろん、保険実務には確認が必要な場面もあるのだろう。
世の中には不正請求もあるのかもしれない。担当者の側にも会社から求められる確認や警戒があるのかもしれない。
でも、だからといって、本当に困っている人まで「まず疑われる前提」で扱われたらたまらない。
もらい事故の被害者は、事故で終わらない。
そのあとも、通院のたび、連絡のたび、書類のたびに、「自分の痛みは信用されるのか」という別の戦いが続く。
これは交通事故のパンフレットにはあまり載っていない、かなり生々しい現実だと思う。
「動かせば治る」と言う保険会社は、医者ではない
ここで僕が強く思ったことがある。
それは、保険会社の言葉をそのまま信用してはいけないということだ。
なぜそう思うのか。
理由は単純で、病院の先生は「動かさず安静に」と言っているのに、保険会社の側は平気で「動かせば治るよ」という空気を出してくるからだ。
こっちは遊びで通院しているわけじゃない。
医師が診て、可動域制限があると判断して、診断書も出している。
そのうえで、安静が必要だと言われている。
なのに、実際に身体を診てもいない側が、軽い話みたいに「動かしたほうがいい」「動かせば治る」みたいなことを言ってくる。
正直、何様なんだと思う。
もちろん、回復の段階によっては運動やリハビリが必要になることもあるだろう。
でも、その判断をするのは保険会社ではない。医師だ。
ここをすり替えてくる感じが、本当に信用できない。
被害者からすると、ここが一番怖い。
医者の言葉と、保険会社の言葉が食い違ったとき、どちらを信じればいいのか一瞬でも迷わされるからだ。
でも本来、迷う必要なんてない。
診断書を書き、実際に身体を診ているのは病院の先生であって、保険会社ではない。
だから僕は思う。
保険会社を信用してはならない。
もう少し正確に言うなら、保険会社の言葉を鵜呑みにしてはならない。
あちらは治療の専門家ではない。
補償を処理する側だ。
その立場の言葉を、医師の所見より上に置いた瞬間、被害者は簡単に振り回される。
令和になっても、こういう雑さは消えていない。
言葉だけ丁寧でも、中身が雑なことはある。
適当な対応をされた側は、それを忘れない。
事故のあとに必要なのは、「相手もプロだから大丈夫だろう」という甘い信頼ではない。
主治医の所見を軸にして、自分の身体を守ること。
まずはそこだ。
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もらい事故に、メリットなんて一つもない
たまに、事故の補償の話になると、「でも結局お金が出るんでしょ」と思う人がいる。
正直に言う。そんなふうに思うなら、一度でも被害者側をやってみればいいと思う。
やりたくてやる人なんていない。
時間を失う。
仕事に影響が出る。
身体は思うように動かない。
気持ちは削られる。
通院は面倒だし、補償の話は神経を使う。
しかも、その途中で“疑われるかもしれない”という空気まで背負わされる。
どこにメリットがあるんだろう。
ない。
本当にない。
事故に遭って得をする人なんていない。
普通に働いて、普通に暮らしていた人間にとって、事故はただ生活を崩すだけだ。
だから僕は何度でも書く。
もらい事故に、メリットなんて一つもない。
それでも学んだことがあるとすれば
この経験から無理やり何かを引き出すとしたら、それは「保険は入って終わりじゃない」ということだ。
担当者によって、受け止め方も進め方も温度差がある。
こちらが丁寧に説明しても、噛み合わないことがある。
本社窓口に言う選択肢もある。担当変更を求める選択肢もある。けれど、被害者側はそのエネルギーすら残っていないことが多い。
そんな時に救いになるのが、弁護士特約みたいな“逃げ道”だと思う。
全部を自分で抱え込まなくていい。
直接ぶつからなくていい。
第三者に整理してもらえるだけで、かなり違う。
保険は、事故のために入る。
でも本当に大事なのは、事故のあと、自分がどれだけ消耗せずに済むかだ。
その意味で、補償の金額だけではなく、揉めた時にどう離脱できるかまで考えておいたほうがいい。
新しく損保に入る人へ、少しだけ伝えたい
今年、損保に入る人もいると思う。
もしこの記事がその人たちの目に入るなら、一つだけ伝えたい。
被害者は、最初から怒鳴りたいわけじゃない。
疑いたいわけでもない。
ただ、事故前の生活に少しでも近づきたくて、通院して、説明して、耐えているだけだ。
その人にとっては、その一本の電話、その一言、その確認の仕方が、何日も残ることがある。
確認が必要なのは分かる。
実務があるのも分かる。
でも、だからこそ、相手を“最初から疑う空気”で扱わないでほしい。
人は、言葉そのものより、態度の温度を覚えている。
事故の被害者が最後まで忘れないのは、補償金額だけじゃない。
「自分はあの時、どう扱われたか」だ。
そしてもう一つ。
治療の話をするなら、せめて医師の診断書と所見を土台にしてほしい。
診てもいない側が「動かせば治る」と軽く言う。その一言が、被害者をどれだけ不安にさせるかを知ってほしい。
おわりに
マクドナルドに呼び出された日のことを、僕はたぶん長く忘れないと思う。
左手を上げたかどうか。
何度まで上がったか。
そんなこと以上に残ったのは、被害者なのに、自分が疑われる側に立っているような感覚だった。
事故は一瞬だ。
でも、そのあとに始まるものは長い。
身体の痛みも長引く。
生活のズレも長引く。
そして時には、心の中に残る“あの扱われ方”も長引く。
だからこの話は、ただの愚痴ではない。
もらい事故の現実を書き残すための記録だ。
被害者に必要なのは、我慢の強さじゃない。
ちゃんと診てもらえること。
ちゃんと休めること。
ちゃんと扱われることだ。
それだけのことが、意外なくらい難しい。
その難しさこそが、事故の本当の後遺症の一つだと僕は思っている。
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まず全体像を見たい人へ
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- Uber配達中、マックからCoCo壱へ向かう途中で起きた追突事故の流れ
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- 左肩の可動域制限はどう残ったのか|外旋制限の記録
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- 休業損害や治療打ち切りの圧にどう向き合ったか
- 示談前に確認しておきたいこと|証拠と記録の整理
編集後記
今回は、怒りをただぶつけるのではなく、「被害者なのに説明役・証明役に回される異様さ」を中心に置いた。
そこへさらに、医師が安静と言っているのに、保険会社が「動かせば治る」と口を出してくる異常さを差し込み、芯のあるコラムにしている。
店名は出しているが、狙いは店批判ではない。
その場に呼び出されて確認される屈辱を書くこと。そこが今回の核だ。