
フーデリ配達員は、料理を運んでいる。
これは間違いない。
店で商品を受け取り、バッグに入れて、お客様のところまで届ける。
作業としては非常にシンプルだ。
だが、空腹時の配達バッグは、たまにこちらを攻撃してくる。
しかもかなり卑怯な攻撃である。
見えない。
触れない。
もちろん食べない。
でも、香りだけは来る。
ポテトの香りである。
あれは危ない。
夜の住宅街。
少し疲れている。
腹も減っている。
売上もあと少しほしい。
そんな時に、背中のバッグからふわっと漂うポテトの香り。
この瞬間、脳内会議室の空気が変わる。
さっきまで冷静だった職業倫理委員会が、急に資料を抱えて立ち上がる。
食欲誘惑係は笑っている。
胃袋省は机を叩いている。
健康管理局は顔面蒼白。
財布防衛大臣は電卓を構えている。
そして私は思う。
「これは配達ではない。精神修行だ」
第一議案:ポテト案件、着弾
バッグに商品を入れた瞬間から、事件は始まっている。
最初は平気だ。
「よし、届けよう」
普通にそう思う。
配達員として当然である。
商品はお客様のもの。
受け取った以上、きちんと運ぶ。
ここに迷いはない。
だが、走り出して数十秒。
背中から来る。
あの香りが。
ポテトである。
揚げたての気配。
塩気の予感。
油の説得力。
見えないのに、存在感が強い。
バッグの中にいるだけなのに、完全に演説している。
「私はここにいるぞ」
と言っている。
言わなくていい。
静かにしていてほしい。
しかしポテトは黙らない。
香りで語ってくる。
ここで脳内のセンサー技術担当が報告を上げる。
「バッグの密閉隙間より、ポテト香が侵入中!」
いらない報告である。
分かっている。
鼻がもう把握している。
だが、センサー技術担当は仕事熱心だ。
「塩分濃度、良好!」
「揚げたて感、確認!」
「空腹中枢への被害、拡大中!」
やめろ。
実況するな。
第二議案:職業倫理委員会、正論で制止
ここで真っ先に立ち上がるのが、職業倫理委員会である。
この部署はまともだ。
非常にまとも。
「商品はお客様のものです」
その通り。
「絶対に手を出してはいけません」
当たり前である。
「香りに動揺してはいけません」
それは少し難しい。
もちろん、商品には絶対に手を出さない。
これは大前提だ。
そこは仕事として守る。
人としても守る。
配達員として当然守る。
だが、香りは勝手に来る。
こちらは呼んでいない。
ポテトのほうから来ている。
玄関のチャイムを鳴らさず、いきなり脳に入ってくる。
不法侵入である。
いや、香りに罪はない。
むしろ店がちゃんとおいしそうに作っている証拠である。
そこには敬意を表したい。
表したいのだが、空腹の配達員にとっては攻撃にもなる。
店の努力が、こちらの胃袋を直撃してくる。
世界は複雑である。
第三議案:食欲誘惑係、「匂いは無料です」と悪魔の主張
職業倫理委員会が正論を言う。
その隣で、食欲誘惑係がニヤニヤしている。
こいつが厄介だ。
食欲誘惑係は、すぐ変な理屈を出してくる。
「商品には手を出していません」
まあ、そうだ。
「香りを感じているだけです」
たしかに。
「匂いは無料です」
黙れ。
そういう問題ではない。
だが、空腹の脳にはこの悪魔の主張が少しだけ響く。
ポテトは食べていない。
でも香りは届いている。
香りだけならセーフ。
何がセーフなのか分からない。
審判もいない。
そもそも試合ではない。
しかし、脳内国会では議論が荒れる。
食欲誘惑係がさらに言う。
「香りだけで白米いけます」
やめろ。
貧しい発想をするな。
でも分かる。
悔しいが分かる。
第四議案:胃袋省、暴動
ポテトだけなら、まだ耐えられる。
問題は、連戦である。
ポテトの次に唐揚げ。
唐揚げの次にカレー。
カレーの次に焼肉系。
この流れは危ない。
もはや飯テロ四天王である。
ポテトは軽快に攻めてくる。
唐揚げは重いパンチを入れてくる。
カレーはバッグの中で演説してくる。
焼肉系は脳内国会を一時停止させる。
ここで胃袋省が暴動を起こす。
「会議を解散しろ!」
うるさい。
今は配達中である。
胃袋省はさらに叫ぶ。
「人間には食事が必要です!」
それはそう。
正しい。
正しいが、今じゃない。
職業倫理委員会が必死に止める。
「まず届けるのが先です」
健康管理局も参戦する。
「夜中の揚げ物は控えましょう」
胃袋省が怒る。
「きれいごとを言うな!」
完全に内戦である。
配達バッグの中では料理が静かに揺れている。
脳内では国家が崩壊しかけている。
外から見れば、ただの原付配達員。
中では食欲革命が起きている。
第五議案:財布防衛大臣 vs 帰りに食べる課
空腹時の配達で必ず出てくるのが、帰りに食べる課である。
こいつは甘い。
非常に甘い。
「稼働が終わったら、何か買えばいいじゃないですか」
そう言う。
たしかに、それが一番平和だ。
商品には手を出さない。
配達も終える。
そのあと自分で買って食べる。
完璧である。
だが、ここで財布防衛大臣が立ち上がる。
「待ちなさい」
出た。
この人はいつもタイミングが悪い。
財布防衛大臣は資料を出す。
「本日の売上から、帰りの食費を差し引くと手残りが減ります」
やめろ。
今それを言うな。
帰りに食べる課が反論する。
「人間には夕飯が必要です」
財布防衛大臣が返す。
「家にあるもので済ませるべきです」
胃袋省が叫ぶ。
「家にあるもので済ませられる精神状態なら、今こんな会議は開いていない!」
正論である。
いや、どっちも正論である。
だから困る。
空腹時の脳内会議は、正論同士が殴り合う。
しかも全員、少しイライラしている。
腹が減っているからだ。
第六議案:ラーメン案件は液体爆弾である
飯テロにも種類がある。
ポテトや唐揚げは、香りの攻撃力が高い。
カレーや焼肉系は、バッグの中から存在を主張してくる。
だが、ラーメン案件は少し違う。
ラーメンは、食欲より先に緊張が来る。
「こぼすな」
この一点である。
汁物は液体爆弾だ。
バッグの中の平和を守る任務になる。
段差。
ブレーキ。
カーブ。
坂道。
路面の荒れ。
全部が敵に見えてくる。
ポテトは脳を攻撃してくる。
ラーメンは神経を削ってくる。
方向性が違う。
香りで腹は減る。
でもそれ以上に、こぼさない緊張で胃が縮む。
もはや食欲どころではない。
ラーメン案件を運んでいる時の配達員は、料理ではなく平和を運んでいる。
バッグの中の治安維持活動である。
第七議案:届けた後、自分の夕飯がコンビニおにぎりだと少し切ない
無事に届ける。
商品を崩さず、こぼさず、冷ましすぎず、ちゃんと届ける。
ここは仕事として誇らしい。
「ありがとうございました」
と言われると、少し救われる。
配達員の脳内会議も、一瞬だけ静かになる。
職業倫理委員会がうなずく。
「よく守りました」
センサー技術担当も報告する。
「香り攻撃、耐え抜きました」
胃袋省はまだ不満そうだが、いったん黙る。
そして稼働が終わる。
帰り道。
自分の夕飯を考える。
さっきまでポテト、唐揚げ、カレー、焼肉、ラーメンを運んでいた。
そして自分はコンビニおにぎりを買う。
少しだけ人生を感じる。
いや、おにぎりは悪くない。
むしろありがたい。
手軽で、安くて、すぐ食べられる。
でも、あれだけ飯テロを浴びた後のコンビニおにぎりには、独特の哀愁がある。
「俺は今日、何を運び、何を食べているのか」
急に哲学が始まる。
前回も哲学していた気がする。
配達員はすぐ哲学する。
だいたい腹が減っている時か、鳴らない時である。
それでも、ちゃんと届けるのが配達員である
ここまで散々、ポテトの香りだ、唐揚げだ、カレーだ、ラーメンだと騒いできた。
だが、最後はこれである。
商品はお客様のもの。
受け取った以上、きちんと届ける。
これは変わらない。
腹が減っていても。
香りが強くても。
胃袋省が暴れていても。
食欲誘惑係が「匂いは無料です」と言ってきても。
ちゃんと届ける。
そこは配達員の仕事である。
むしろ、おいしそうな香りがするということは、店がちゃんとおいしそうに作っているということでもある。
そこには敬意がある。
お客様も、それを楽しみに待っている。
だから、こちらは誘惑に耐えて運ぶ。
耐えて、届けて、帰りに自分の夕飯を考える。
それがフーデリ配達員である。
結論:商品には手を出さない。でも香りは勝手に来る
空腹時の配達バッグは、時々、飯テロ兵器になる。
ポテトの香り。
唐揚げの圧。
カレーの演説。
焼肉の説得力。
ラーメンの液体爆弾感。
どれも強い。
だが配達員は運ぶ。
職業倫理委員会は正論を言う。
食欲誘惑係は悪魔の理屈をこねる。
胃袋省は暴れる。
健康管理局は夜中の揚げ物に反対する。
財布防衛大臣は食費を止めようとする。
帰りに食べる課は人間の尊厳を主張する。
全員が好き勝手に喋る。
そして今日も、理性はギリギリ辞職しない。
偉い。
かなり偉い。
少なくとも、ポテトの香りに包囲されながら、ちゃんと届けた配達員は全員少し褒められていい。
今日もどこかで、配達員は背中のバッグから漂う香りに耐えながら走っている。
商品には手を出さない。
でも香りは勝手に来る。
鳴れ。
でも、腹が減ってる時のポテトは少し手加減してくれ。
無理を言っている自覚はある。
でも、それが空腹のフーデリ配達員である。