ほんとにあった怖い話 もらい事故#04|「人身にします?物損にします?」|事故現場で迫られた選択の重さ

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ほんとにあった怖い話 もらい事故#04|「人身にします?物損にします?」|事故現場で迫られた選択の重さ

スマホ/カメラで原付を撮影しながらニヤニヤ、上から目線の表情

事故は一瞬だった。止まっていたところに後ろから追突(ドン)。
でも本当にしんどいのは、その直後の現場で始まった。
痛い身体のまま、判断と手続きがいきなり降ってくる。
そして現場で言われた。「人身にします?物損にします?」
あの一言の重さを、私は忘れない。



写真を撮りながら「古い原付だな〜」と言われた

事故直後、警察が現場に来て、原付の写真を撮り始めた。
記録として必要なのは分かる。そこまではいい。

でも、その撮影中に言われた。
「古い原付だな〜」

その時、私は左肩を押さえていた。痛みがあった。
腕も上がらない。しびれもある。頭も回ってない。
そんな状態で、被害者に向けて出てくる言葉がそれか。

雑談のつもり?悪気はない?
だったら尚更、現場で言うな。
被害者に残るのは、温度差と屈辱だけだ。

悪いか?古くて

悪いか?古くて。
古い原付でも、私は仕事をして生活してきた。
その生活が、事故で止まった。

年式が新しいか古いかは、今この瞬間の痛みと関係ない。
事故の事実とも関係ない。
それを、痛みを抱えている被害者に投げる。
その一言で、「こっちは守られる側じゃない」って悟る。

事故の恐怖って、こういうところにもある。
ぶつかった衝撃だけじゃない。
軽い言葉で、もう一回刺される。

事故直後の現場で「人身?物損?」は重すぎる

そして現場で、次に投げられたのがこれだ。
「人身にします?物損にします?」

ルールとして必要なのは分かる。
ただ、被害者としてはこう思う。

こっちは痛い。混乱してる。先が見えない。
その状態で「はい、選んで」って言われる。
事故の二発目は、この質問だ。

しかも、この選択は軽くない。
「あの時どうしたか」が、あとから手続きの芯になる。
つまり、現場で迷うと、後でまた迷わされる。

症状は“後から来る”のに、その場で決めさせる

事故直後って、症状が確定していない。
その場では動けることもある。喋れることもある。
でも後から来る。時間差で来る。
首、肩甲骨、肩、腕、しびれ、寝起きの地獄。

だから私は言う。
「人身にするかどうか」を決める材料が、現場に揃ってないことがある。
それでも決めさせる。これが被害者にはきつい。

迷った時の基準:私は“動作”で考える

ここで私は、基準をシンプルにした。
痛みの数字だけだと、話が薄まる。逃げられる。
だから私は、動作で見る。

  • 腕が上がるか(耳に届くか)
  • 荷重できるか(支えられるか)
  • しびれがあるか(力が抜ける、感覚がズレる)
  • 寝返り・着替え・持ち上げで悪化するか

これが崩れているなら、私は「ケガがある」と判断する。
“その場で歩けた”は根拠にならない。
“会話できた”も根拠にならない。
生活の機能が落ちているのが現実だ。

この回の結論:現場で刺さるのは衝撃だけじゃない

現場で刺さるのは、追突の衝撃だけじゃない。
その直後に飛んでくる言葉と、選択の圧も刺さる。

「古い原付だな〜」
「人身にします?物損にします?」
私は、あの温度差を忘れない。

次回は、原付が“全損96,000円”として処理される現実を書く。
物の話に見えて、生活の話だ。逃げずに書く。


編集後記

事故後は、痛みの中で判断を迫られる。
その時に必要なのは、強がりじゃない。記録だ。
何を言われたか、何を選ばされたか。
私は、薄めさせないために書き残す。