
十日市場という街を、僕は駅名ではなく、ピック先で覚えている。
普通に暮らしていれば、十日市場は「横浜線の駅」「スーパーがある街」「青葉区や緑区の境目あたり」という見え方になるのかもしれない。
でも、原付50ccで配達していると、街の見え方が少し変わる。
僕にとって十日市場は、まず出前館で呼ばれる街だ。
そして出前館で十日市場が鳴ると、体感としてまず浮かぶのは日高屋である。
もちろん、日高屋だけではない。マクドナルドもある。ローソンもある。目利きの銀次、晴天家、ダイエー、タイ料理タラートあたりも候補に入る。
でも、出前館で十日市場に呼ばれた瞬間、僕の頭の中ではなぜか日高屋の看板が先に立ち上がる。
「ああ、十日市場か。日高屋かな」
そんな感じだ。
出前館で十日市場が鳴ると、だいたい日高屋の顔が浮かぶ
これは十日市場全体の一般論ではない。あくまで僕の体感であり、しかも出前館で走っている時の話だ。
Uberも含めて十日市場が全部日高屋というわけではない。そこは雑に言い切ると違う。
ただ、出前館で十日市場が鳴った時の「またこのへんか」という感覚の中心に、日高屋がある。
配達員は、街を駅名で覚えるだけではない。
どのアプリで、どの時間帯に、どの店に呼ばれやすいか。どの道が入りやすいか。どこで原付を止めやすいか。そこから次にどこへ流されるか。
そういう細かい体感の積み重ねで、街の地図が頭の中にできていく。
だから僕にとって十日市場は、地図アプリ上の駅名ではなく、出前館の日高屋を中心に、マクドナルド、ローソン、目利きの銀次、晴天家、ダイエー、タイ料理タラートが並ぶ街として記憶されている。
かなり偏った地図だ。
でも、配達員の地図なんて、だいたいそんなものだと思う。
そうてつローゼン近くの「包丁研ぎ600円」が、なぜか毎回気になる
十日市場をぐるぐる回っていると、ピック先とは別に、妙に目に残るものがある。
そうてつローゼン十日市場の近くで見かける、包丁研ぎ600円の看板だ。
店というより、一軒家の生活の延長に小さな商売が出ているような雰囲気で、通るたびに気になる。
包丁研ぎ600円。
このシンプルさがいい。
副業だ、個人事業だ、プラットフォームだ、アルゴリズムだと騒いでいる横で、街には昔からこういう小さな商いがある。
看板を出して、できることを出して、必要な人が来る。
ものすごく地味だけど、商売の原型みたいなものを感じる。
もちろん、配達中なので立ち止まってじっくり観察するわけではない。住所を調べるわけでもない。ただ、何度も前を通るうちに、勝手に街の記憶として残っていく。
配達員は、こういう看板でも街を覚える。
日高屋で覚える。ローゼンで覚える。包丁研ぎ600円で覚える。
観光ガイドにはたぶん載らない。でも、走っている人間の頭には残る。
消防署前あたりの焼肉屋が、毎回いい匂いで攻撃してくる
十日市場で配達していると、もう一つ避けられないものがある。
焼肉の匂いだ。
消防署前あたりをぐるぐる回っていると、焼肉屋の匂いを何度も浴びることになる。
これはなかなか厳しい。
こっちは仕事中である。次の案件を見ている。スマホの画面を見て、受けるかどうか判断している。原付の燃料も気にしている。売上も気にしている。
そこへ焼肉の匂いが来る。
ずるい。
あれはずるい。
しかも、一回だけではない。十日市場を回っていると、ルートによっては何度も匂いを浴びる。
「食べたい」ではない。
「食べたいけど今じゃない」なのだ。
配達員は、他人のご飯を運びながら、自分の腹を空かせる仕事でもある。
その状態で焼肉の匂いだけ何度も浴びるのは、地味に精神を削ってくる。
でも、これも十日市場の記憶になっている。
日高屋。包丁研ぎ600円。焼肉の匂い。
配達員のローカル地図は、なかなかクセが強い。
そしてUberをつけると、長津田アピタ連合軍へ吸われる
出前館で十日市場を見ているつもりが、Uberをつけると話が変わる。
僕の体感では、ここから長津田方面へ吸われることが多い。
特に存在感があるのが、アピタ長津田だ。
あそこにはフードコート連合軍がいる。
一店舗ではない。
連合軍である。
Uberをつけていると、十日市場周辺にいるはずなのに、気づいたら長津田アピタ方面に呼ばれている感覚がある。
「あれ、俺は十日市場にいたはずでは?」
そう思いながら、原付で長津田方面へ流れていく。
配達アプリを併用していると、同じエリアにいても、アプリごとに街の見え方が変わる。
出前館なら十日市場の日高屋が浮かぶ。
Uberなら長津田アピタのフードコート連合軍が見えてくる。
同じ横浜北部なのに、アプリが変わるだけで、頭の中の地図が切り替わる。
これが面白い。
そして少し怖い。
自分で走っているようで、実はアプリに街の見え方を決められている部分もあるからだ。
配達員にとって、街は「戻れるかどうか」まで含めて街である
十日市場も長津田も、行くだけなら行ける。
問題は、そのあとだ。
配達員にとって大事なのは、目的地に着くことだけではない。そこから戻れるか。次に鳴るか。青葉台方面へ戻すのか、藤が丘へ寄るのか、市が尾方面を見るのか。
原付50ccで走っていると、距離よりも「流れ」が気になる。
行きっぱなしになるのか。
次の案件で戻れるのか。
それとも、さらに別方向へ吸われていくのか。
十日市場は、僕にとってその境目の街だ。
近いようで、少しだけ遠い。
日常の延長にあるようで、配達中はちょっとした遠征感もある。
そしてUberをつければ、長津田アピタ連合軍へ吸われる。
この「吸われる」という感覚は、配達員ならたぶん分かると思う。
自分で選んでいるようで、気づいたらそこにいる。
街に呼ばれているのか、アプリに呼ばれているのか、もはや分からない。
配達員は、駅名ではなく店名と匂いで街を覚える
十日市場を普通に紹介するなら、駅前、スーパー、道路、住宅街、学校、そういう話になるのだと思う。
でも、僕の十日市場は少し違う。
出前館で呼ばれる日高屋。
マクドナルド、ローソン、目利きの銀次、晴天家、ダイエー、タイ料理タラート。
そうてつローゼン近くで見かける包丁研ぎ600円。
消防署前あたりで何度も浴びる焼肉の匂い。
そしてUberをつけた時に現れる、長津田アピタのフードコート連合軍。
これが、僕の十日市場・長津田の見え方だ。
たぶん偏っている。
でも、現場から見た街というのは、だいたい偏っている。
その偏りこそが、生活の地図なのだと思う。
今日もスマホが鳴る。
出前館なら、また日高屋かもしれない。
Uberなら、長津田アピタ連合軍かもしれない。
そしてその途中で、僕はまた包丁研ぎ600円の看板を見て、焼肉の匂いを浴びる。
配達員のローカル地政学は、こういうどうでもよさそうな記憶の積み重ねでできている。
だから十日市場は、ただの通過点ではない。
僕にとっては、店名と匂いで覚えた、ちゃんとした配達の街なのである。
編集後記
十日市場の話を書こうとすると、普通なら駅や道路やスーパーの話になるのかもしれません。
でも配達員として走っていると、街の記憶はもっと変なところに残ります。
出前館の日高屋、Uberの長津田アピタ、包丁研ぎ600円、焼肉の匂い。
こういうものが積み重なって、僕の中の十日市場になっていく。
これはたぶん、観光案内ではありません。
でも、原付で走っている人間から見た、かなり正直なローカル地図です。
次は長津田アピタのサブウェイで、なぜ配達員はヘルメットを脱ぐのか問題について書こうと思います。
あれはあれで、地味に配達員の心を映す話です。